インストールが終われば後はオープニングを待つだけなのだが、今回は一風変わったオープニングで、それぞれの作家が別々の日にオープニングを迎えるという方式。月曜はドイツからの作家とヘルシンキからの作家、火曜日は地元の作家とオーストラリアからの作家、そして水曜日が私、木曜日が全員揃って改めてオープンする。このような形は初めてなのでほかの作家のオープンやオープニングではない作家がどのようにしたらよいのか、など見よう見まねでやってみる。接客なんて全然得意じゃないのだが、見に来てくださるお客様も見慣れないものを見るわけで、飲み物を配りつつ、オープンを迎えている作家をそうでない作家が紹介したり、オープンを迎えている作家は自分の作品の説明をしたり、地元のどのような部分を作品に取り入れたかとか、そんなことを説明する。何度も聞くと自分なりではあるが理解が深まるし、案外新しい発見ができたりもして、日本でいろいろなスケジュールの合間を見て展示を見るのとは違う味わい方ができるのも新鮮だ。
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オーストラリアからの作家、Sally Kidallの作品。アンダーグラウンドなものがテーマになっている。実際、地下通路のある場所などを撮影した作品を作っている。今回の作品も地元にある地下室とシティホール(市役所的な場所)、ほかにいくつかの場所が地下通路でつながっており、シティホールの最上階にあるミーティングルームに取り付けられた監視モニターを通し、少し前の時代まで支配者が監視していた、という設定の作品。(フィンランドは長らくスウェーデンの支配下にあり、その後ロシアの統治下にあり、最近独立100周年を迎えたばかりであり、ウクライナやロシアとの地理的な距離は近い)
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ヘルシンキからの作家、Harri Piispanenの作品。パフォーマンスを主体にしている。展示する地域に典型的な資材置き場の縮小版を作り、頭にかぶってあとは全裸、これまたフィンランドのトレードマークのサウナに入ったり、森の中を散歩したり、湖に小屋が浮かんでいたかと思うと突然体が現れ歩きだしたりする。小屋の中に小屋が入って、それは同時に衣服とか帽子のように身につけ、身を守る(かもしれない)ものになっていて、しかしそれはフィンランドの人には身近な森や湖といったもっと大きなものの中にあって、いくつもの入れ子構造の中にアイデンティティを感じさせるし、じゃんけんのように、あるいは自然の循環のように、めぐっていくように作ってあったりして、ユーモラスでありながらいろいろと考えさせられる作品。
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ベルリンからの作家、Mattias Beckmann。滞在先で見たものをドローイングとして残していく。カメラを使わずに、自分自身が観察者であると話す。端からスキャンするように描いていくとのことなのだが、実際トライしてみるとわかるがなかなかこのようには描けない。パースに従って描くこととも違う。時間をかけてこのスタイルを確立したことが良くわかる。画面を埋めるようにみっちり書いているものもあるが、余白を残した軽い感じのものもあり、お洒落。最近の仕事では水彩なども手掛けている。
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地元から参加している作家、Robert Back。物と物の間にあるものがテーマになっている。フィンランドでもっとも有名な著者の一人、トペリウスの作品に登場する生き物を写真と詳細なイラストレーションで紹介したサインボードを制作、実際にその生き物がいる場所の近くにボードを立てるという作品。ある生き物は人間にとっては有害だったりするが、もっと大きな視点に立つと不要なものはなく、生き物と生き物の間にはそれをつなぐものが存在することを示唆する。もちろん生物学的な意味だけでなく、哲学的な意味も含めてのことだ。
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